「非現実の王国で」みたいな小説を書く

正式には『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』というタイトルだそうな。これはヘンリー・ダーガーというアメリカの変人が十九歳から生涯をかけて書いた世界最長の小説だ。父を亡くし、施設から脱走、数百キロを歩いて故郷に戻った三年後に書き始めた。誰に見せようとも思わず、ひたすら書き続けた。人とのコミュニケーションを一切することなく、隣人も名前の発音がわからずバラバラの呼び方だった。

そういう書き方を小説に対して行うのだ。自分の心地よい世界に没入するためだけに。誰にも文句を言われることなく、好き勝手かきちらす。何の制限もかけず、影響を受けたとかも関係なく。とにかく自分の心地よい世界を展開、掘り下げて思う存分書き尽くす。きっと精神の病気とかじゃないと続けられないだろう。普通の当たり前の生活を送るものはその世界に到達しない。そんなものがどこにも無いから羨望、渇望して世界が生み出されるのだ。まずはその力を作るための準備が一般人には必要だ。

唯一、人はその時期を持っている。子供時代だ。その時人は現実の全てが自分のコントロールできない世界である。もちろん器用に世界を変える子供もいるだろうが、それは稀だ。思い通りになったり、ならなかったり、人それぞれ紆余曲折しながら大人になって、自分が何を渇望していたのかを忘れる。人によっては全てが上手くいかないという人もいるはずだ。そして感受性が人一倍強い。すると、全く上手くいかない世界には何も期待せず、自分の思い通りになる世界に逃げ込むことだろう。そこで精神的質量の多さから圧倒的な世界を生み出すのだ。

作家と呼ばれる人種が精神病者に近い印象を持つのは、その病質的な精神的質量の大きさもさることながら、上手くいかない現実への怒りや諦めの説得力が圧倒的だからだ。小手先の物語の作り方とかいうテクニックではその世界には到達しない。トラウマ、残酷が平然と日常に横たわり、どこにも逃げ場が無いという多感な時代を経たものが作家になるのだ。

だから一般人ができる準備というのは限られていて、文章を鍛えるとかどうでも良い。そんなことよりは自分が逃げ出したくてしょうがなかった時を思い出し、その逃げる先に期待するものを描くべきだ。もちろんその作家は知っている。逃げた先が平和で何も起こらない清浄の地だったら全く何の説得力も無いことを。少し都合が悪いくらいじゃ無いと生きている実感がわかないのだ。

だから両手放しに素敵で無事な世界は描かれない。そう、その作家にとっては「今よりちょっとだけマシな世界」が描かれることになるのだ。その今よりちょっとだけマシな世界は、一般人からしたら死んでも行きたく無いけど魅力的に見える世界だろう。きっと。

だから一般人にできる準備はその最悪に逃げ出したかった時を思い出し、その時どういう場所に逃げたかったのか、逃げた先にはどういうマシなことと酷いことが待っているのかを考えないといけない。一般人にそんなものが易々と書けるならヘンリー・ダーガーは何もフィーチャーされることなかったから、程度とかバランスみたいなものはあるが、それでも個人的な内証を書き留めるのだ。

1/19/2016 07:45:00 PM