ゲームにストーリーは要らないと言いきる

ゲームに必要なのはシステムであって、システムによる成長がストーリーを生成する。つまり正確にはストーリーが全くいらないとかいうことではなく、ストーリーをわざわざゲームクリエイターが作ってプレイヤーに押し付けるようなことはしなくても良いということだ。たとえばスーパーマリオなら、マリオというおっさんがピーチ姫をさらったクッパという悪者から助けだすために困難な道のりをひた走る、みたいなことだが、こんなものにストーリーがあるわけなく、ステージのトラップをどうかいくぐるかということに集中すれば、その生き残るための工夫がそのまま、プレイヤー自身のストーリーとして成立するのだ。

マリオにストーリーは全く必要ない。しかし、製作者は明確な意図、つまりプレイヤーを飽きさせず、最後まで苦労しながらも楽しめるようにする工夫があって、そのステージをレベルデザインしている。その意図が必要なだけだ。押し付けがましいストーリーも泣きの演出もいらない。その意図された困難を克服するとき、プレイヤーの中でうっすらと見える流れとか、背景とか、世界の厚みみたいなものが、やがてプレイヤー個々人の中でストーリーとして熟成していくというのが最もスマートなゲームとしてのストーリーのあり方であろう。押し付けるストーリーは迷惑なだけだ。

ゲームとしてあるべき姿は日記を思い浮かべたらいい。「今日何々があった」という記録に日記は使うが、それが全員同じ内容であって本当に良いのかということだ。ストーリーがあると、いくらゲームを進めても、見せられたものしか見れない。同じゲームをした人は同じ記録しか残らない。もちろんそんなものは日記とは言わない。読書感想文と同じで、より深く読めたといつ人もいれば、嫌々読んだという人もいるだろう。でも、それならゲームのパッケージに包まなくても、本やアニメで良いということだ。ゲームでやる必要がどこにもない。

ロールプレイングはストーリーを押し付けるゲームが多い。やりやすいからだろうが、激しく食い合わせが悪い。どっかのゲーム論みたいなので読んで納得したのだが、ストーリーが強くロールプレイングに取り入れられ始めた頃からロールプレイングがつまらなくなっていった。それはシステムとしての面白さを台無しにするものだ。ロールプレイングは、リソースをシステムの許す中で最大限に工夫して攻略する、いわば戦略ゲームなのだ。役を演じるという意味があるが、それはテーブルトークの方であって、コンピュータのロールプレイングはお涙頂戴の糞みたいな演出だの無表情で焦点の合わない目の、関節が変なところで曲がるぎこちない動きのホストとホステスの織りなす美しい映像(笑)などを楽しむものではなく、リソースを管理しながら、どうやったら勝てるか全く答えが出ない強大な敵に立ち向かって、自分の知識と工夫で乗り越えて、クリアするという、頭脳戦を楽しむゲームなのだ。

ゲームクリエイターに作られた制限の抜け道を見抜き、無能はひたすらレベル上げで何とかする局面で、ステータス変化の組み合わせによってスマートな解決を目指すものだ。もちろん最初から仕組まれているものなので、そんな有能感など幻想でしかないが、そうやって出来上がった記録はどんなにエキサイティングだろうか。常に挑戦、実験を繰り返して発見を重ねて、抜け道を見つけ出す内容の日記が、同じストーリーの読書感想文より退屈なわけがない。

ゲームが好きな人を捨てて、賑やかしとか祭りが好きな人を呼び込めばそれはそれはお金が儲かることだろう。しかしそれは映画の作り方と一緒だ。本当に才能あるゲームクリエイターは糞みたいなストーリーとかを押し付けないし、システムだけで垂涎もののゲームを作り出す。iPhoneで一番売れているゲームアプリが見た目重視のストーリー押し付けゲームではないことを考えるとそれは明らかだ。

ゲームはまずどうしても超えたいと思える挑戦部分がしっかりデザインされていないと糞と変わらない。時間の無駄。どれだけ美しい見た目(笑)でもすぐ飽きる。いくらリアルでも、どうせポリゴンのフニャフニャのキモい動きだ。人の動きはそのままキャプチャしたところで不気味の谷を越えられない。そんな演出を目指したいなら劇団でもやってろと思う。そうじゃなく、ゲームはたった一つだけで良いから挑戦しがいのある何かを提示してくれればそれで良い。バカを黙らせるためにグラフィックを綺麗にするのはわかるが、それは二の次だろう。実の部分が無い、カスみたいな映像作品でディレクターの自慰を見せられても不愉快なだけだ。こっちを楽しませろよと思う。さすがに購入したゲームでそんなものを提示されても付き合いきれない。

1/15/2016 11:02:00 PM