「ラッパーは光、言葉は影」の意味

日本語ラップの最高峰と勝手に思っている
Tha Blue HerbのBOSSIZMという曲で言われる「ラッパーは光、言葉は影」という歌詞があるが、これが鬼とかいう犯罪者ラッパーにdis(笑)られたとか。大昔の話で何も影響がなかったのでどうでも良いこと山の如しだが、歌詞の意味が確かにハッキリ分からないなと思ったので、改めて聴き直してみたり、鬼の歌詞を調べたりしてみたが、Bossの曲自体はイメージの断片をブチまけていて、論理的な繋がりは歌詞内にはない。結局、Bossがいうのは、単なる表裏の表現というのがわかる。しかし、あえてラッパーを光とするのは、語呂の良さが一番だろうが、無理やり解釈すると、ラッパーの行いがすべて言葉となり現れ、影により光は認識され、光によって影は作られる。お互いに影響を与えるのだ。……みたいなことではないだろうかと思う。

別にコトバは素晴らしいもので光であるべきとか、ゴミラッパーを照らすのが言葉である故に言葉は光だとか陳腐でアホな解釈をされても困るだろう。まあ、そういう思考回路だから暴行と覚醒剤でどうしようもなくなったのだろうが。

Tha blue herbのファーストの頃は言葉遊びに近い印象で書き上げているような感じだ。心象をスケッチするというのを自分で書いているが、なるほど心の中で湧き上がる感覚とイメージだけを頼りに、現実よりもイメージを優先しているようだ。相当に思想、哲学を独自の視点より学習しているようだ。それがセカンドで攻撃性が低くなり落ち着き、感覚が極まっていく。そして辺りを見渡してみると、現実も実は不思議な世界だったと気づいて、現実世界に舞い降り、まあ年齢的にも自分達がコントロールする側に回り始める時期であろうから当然そうなった三枚目、ついに身の回りを離れて政治に対して口出しをし始めた四枚目、そしてtha blue herbではしがらみ的にやりづらい、卒業アルバム的な作りのソロアルバム。


IN THE NAME OF HIPHOP(2CD生産限定盤)

こんな感じで進んでいっている感じがよくわかる。特にソロは前言撤回どころじゃなく(前言撤回もしてるが)完全に逆をいっている。「お手手繋いで皆んな仲良く、冗談じゃねえ」をまさにやり始めたのだ。多分、「俺と五分の付き合いができる」と思ったから「付き合ってやっても良いぜ」ということだろうからまあ良いが、しかし、さすがにどう贔屓目に見てもユーザロックは違う気がする。あっちが憧れているのはわかるが、五分の付き合いではないだろう。

たしかに本人も言うように、最初に攻撃的に行くのはのし上がるための登竜門であるというのはわかるが、あの時、攻撃性以上に日本中のリスナーを感心させたのが信じられない言葉の連続である。イメージの断片か、とてもそれまでの日本語ラップではありえなかった繋がりだ。韻をあえて捨てて遠くでつなげる、意識できない韻を踏む高度な歌詞だ。途轍もないし、今となっては最初で最期と言える天才的なラップだ。トラックもドープで極まっている。確かに純粋なラップの音楽的才能やテクニックなどは降神の志人には及ばないような気もするが、それでもあの歌詞の超越感でまったく引けを取らないというか、遥か高く飛んでいる。


Heaven’s恋文

しかしだ、その歌詞の良さが現実に降りて落ち着いてしまうと無くなってしまい、純粋なテクニック勝負に近くなり面白味が低くなってしまった。良さはまだまだあるし、グッと来るものは多いが、だからと言ってファーストの時のあの言葉の連続を諦めたくは無い。


STILLING STILL DREAMING


Sell Our Soul


LIFE STORY


TOTAL

3/20/2016 08:48:00 AM