作家は意識の向こう側を除く好奇心を持つ者

天才は共感覚で物事を考えると言われる。共感覚とは言葉や数字を聞いた瞬間、色や味覚や匂いがハッキリと湧き上がる状態で、これが極端に働くとサバンと呼ばれる状態を引き起こす。サバンとはフランス語で学者という意味だ。

共感覚こそが、強烈な計算能力や記憶力に有効だというのがわかってきているそうだが、なぜそれが天才的な能力に影響するのかはよくわからないようだ。よくわからないなら、勝手に予測して良いということなので、勝手に考えると、もしかしたら、脳はモジュール化すること、つまり部品ごとに処理をするときは日常の些末な物事を作業的にこなす、こなしても辛くないように分断しているので、単調な作業にも耐えられるようになっているのかもしれない。しかし、モジュール一個の能力というのは大したことはできない。別のモジュールが同時に動くと、単なる作業が不可能になってしまうが、とてつもない能力が発揮される、つまり日常生活を犠牲にして、桁違いの知能を手に入れることができるようになるのだ。

これは、脳を本能的に使うのと似ている。本能は分断したモジュール内部に入っていて、常にループしながら、反射速度の限界で常に働き続けるもので、何かことが起きた時、それを利用して問題を解決するため最高速で動くファンクションとしてある。ファスト思考というやつだ。大して簡単でもないことを簡単に処理できる、進化の残したAPIみたいなもの。

それを、スロー思考と呼ばれる、いわゆる二桁同士の掛け算を暗算するような思考にそれを使うことは難しいのだが、使えるようにするためには脳のファンクションを別のところから持ってきて、掛け合わせるようなことが必要になる。そのせいで常識からは外れる。日常生活をまともにこなせなくなる。誰にも存在しない感覚だからだ。

では、誰にでも存在する感覚、というのは何なのだろうか、これが「常識」と呼ばれるものである。常識とは共感覚とも訳される。これをもって人は高速な判断を可能にしているのだ。

多かれ少なかれ、作家はこの常識を疑うし、読者にも疑わせるように仕向ける。つまり、共感覚を把握しているか、興味が強いということだ。意識、無意識、どちらも人が共感覚で物事を判断している以上、その向こう側を知ろうとしなければ、「だってみんなやってるし、当たり前だし」だけで終わりの、脳内の分断モジュールマシーンと大差ない。そこの疑いを明確に有していて、そうじゃないんだという感覚を持っているから作家となる動機を手に入れたのではないか。決して物語の作法がわかったから作家になったわけではないはずだ。

多くの作家は基地外に憧れるという。それは、常識をありえない解釈をして狂ってしまったその容態が気になるからだ。

……と、私は思う。

4/22/2016 10:10:00 AM