毎日を濃厚にするために書く

文章を書くと、それだけで脳汁がでて大変心地よいし、指先だけで全く動くことなくストレス発散ができるのだが、それ以上に、時間が長く感じるという特性があることにも気づいた。

楽しい時間は速く過ぎるというが、そこまで楽しいわけでもなく、達成感はあるものの、その達成感までの距離がちょうど良い感じである。段落というか、いつでも終わらせられる場所まで到着した後は、思いついたことをバリバリ書き出すだけに過ぎない。

この書き出しを始めてから、考える時間も長くなったし、考えたところで何も出ないのだが、イライラが多少落ち着くようになってきたような気がする。

それと、こういうループをやっている時に、時々誰か他の人の感覚がわかるような言説系の本を読んだり、技術系の本を読んだりすると、驚くほど吸収が可能になる。自分の中で納得のいく答えが見つかったりする。まやかしだろうが、それが、日々を濃厚にする。

ぼんやり過ごすだけでは物足りないとき、この書き出しで濃厚な感覚を手に入れるというのをやってみると良いかもしれない。

まあ、誰もやらないだろうが。

しかし、大したことないことを毎日飽きもせず書いているが、これは人に向けてとかそういうのからは遠く離れて、好き勝手に書くからできることで、最低限のマナーさえ守れば、ストレス発散に皆にオススメできる趣味だ。いまいちインプット欲もなく、食傷気味になったとき、すっきりするために吐き出す必要もあるだろう。

言語化可能なことと、不可能なことが多くあるので、一概には言えないが、衝突断面が増えると、面白がれることが増えて、同時に今まで面白がっていたことが安易すぎて手をつけたくなくなってきたりする。

特に、ライフハック系の記事を自分で書いてみたりしていると、他の人の書いたライフハックで良いと思うことがほとんどなくなってくる。自分の考えたノウハウみたいなものが一番自分にあっているのは当然だが、特に興味あるものは、一般的なものをはるかに超えてしまうので、つまらなくなる。

本はどうしても入門書を超えると、単に著者の自己満足というか、ただのこだわりの押し付けみたいになってしまうものだ。それを避けても、結局は辞書としての機能しか有さないので、辞書で良くなり、人の言説が入り込む余地のある部分以外、入門書か、辞書の二極化しかありえない。

だから、それを見切ってしまうと、本というのは、どこぞのおっさんのこだわりを読み込むためのもので、そのおっさんがうまくいった考えが、自分にも有効かな、くらいのもの以上に何もない。

確かに、まだ文章を読むことが少なかった時期はそういうのも良いなということも思ったが、結局は何の役にも立たないということが一番の学びだった。それよりは、自分で作るということが必要なのだ。その作る工程で学ぶことの方が、本を読んでわかった気になる何百倍も重要だったりする。だから、すでに図書館にある本の、現在通説となってるものさえ読めばそれ以上を求める必要もない。

自分で書くと、それ以上は何も出なくなるという瞬間がやってくる。そうなったら、何度でも同じことを書き続ければ良いのだ。前に勢いに任せて書き倒した文章をもう一度読み直し、それについて、いや、こうじゃなかろうかという感覚をネタにまた文章を書く。これについてはもうちょっと言っときたいとか、あのときはああ言ってたがよく考えると違うわとか、これもう一度書いとくか程度でも良い。

よく考えもせずに何となく書いたことでも、実は面白いことを書いていたり、ヒントになることがあったり、気づいてなかったがそのままの状況になってるとか、読み直しにはいろいろな気づきがあって良い感じである。

Googleのアクセス解析も、自分では読み直さないような記事が検索で読まれていたりして、なかなか面白い。

4/21/2016 08:30:00 PM