物語が書きづらい原因

これがわかれば、このブログみたいに適当に書きまくれるのに、なんで物語は書きづらいのか……多分だが英語の試験みたいに、英語は本来ツールとして使うものなのに、間違えたらだめなゲームみたいになっているだけではないかと思う。英語は間違えたらダメだから正しいことだけ言え、書け、みたいな感じ。

小説の形みたいなのが明確にあるので、それに従わないと書きづらいみたいな、そういう思い込みみたいなのがあるのだと思う。別に自分でそう思っているだけなので、実際違うという意見もよくわかる。あと、人間のドラマを描くのに興味がないというのもでかい。

練習として、映画とか簡単な小説でまとめるというのも考えたが、それも面倒くさい。なんだろう、人の動きになんの興味もない。だから、映画も人間関係というよりは、サバイバル的なものとか、パズル的なものとか、脱出みたいなものばかりを求めてしまう。

なんとなくだが、嫌いな映画に当てつけるみたいなものを書くというのも有効なような気がするが、それも続けられる自信がない。

またあってほしいこと、もう二度と起きて欲しくないこと、興味あること、感情的なこと、ニュース、テレビ番組、映画の冒頭、クイズ番組(なぜかクイズはアーカイブが全くない)構成と出演者の相関など、擬人化、四コマ漫画、パロディ……こういう遊びに興味がない。

しかし、システム的に何か文章を紡ぎ出すというのは中々エキサイティングな気がするが、やはり中身が全く思いつかない。

こうあるべきというのが頭にこびりついているせいだろう。自分が面白いと思うとか、そういうのは多分不可能だ。それよりも、書いていく中で見つかる発見みたいなものを動機とするというのも良いかもしれない。

物語を作り出す理由は多分いらない。目指すべきものも必要ない。単に楽しいから、みたいなことで書くというのが重要なのだ。適当に好きなように書く。しかし人にも興味ないし、相関にも興味ない。でもなぜこんなに書きたいのかはよくわからない。何かあとちょっとのところまできている気がする。文書を書くというに関しては全く辛くないので、あとは自分の興味が尽きないものを物語にするということだけなのに、その一歩が難しい。

言っとくが、どこぞの物語論を踏襲したところで全くやる気が続かない。

この状態になったことが昔もあったが、それはギターであり、歌であり、プログラムであり……この感覚を乗り切ったのは、憧れる対象を見つけた時だ。本当の意味で。「凄すぎる」というのは無意味で、どうしてもそこにいきたいと思える何か、真似したくなる対象というべきか。それが小説には存在しないのだ。漫画は木城ゆきとだが、しかし、それは凄すぎる方に入っているのでちょっと違うか。

もう少し、このなんでやねんは掘り下げて考えないと答えが出そうにない。

4/20/2016 09:08:00 PM