物語の続け方

負荷を低くして書き続けることだ。負荷をどうやって低くするかと考えると、一里塚的なやり方が良いかも知れない。そこまでに何が入っているべきかを定義する。これを自分で定義しなければ話が進まない。

三幕にしたり、四分割にするやり方もあるようだが、それ自体、作るのは最初から感覚が無いと結構な負荷がかかるので、負荷のかからない方法を独自に生み出さなければならない。自分に負荷がかからない方法というのは自分以外にはわからないものだ。

別にオリジリティとかそういうレベルには達してないので、その辺の話はどうでもいいが、唯一物語を完成させる方法があるとすれば自分に負荷のかからない方法で、続けることで最後まで書き上げること以外ありえない。

自分に負荷のかからない方法としては、まず書く動機が存在しないが、それをでっち上げることから始めないといけない。多分、つまらない映画を進んで見るべきなのだ。つまらない映画をどうやったらつまらなくなくすかということを考えるのはそれほど辛くない。

つまらない映画でも話になるネタは用意されているから、それがもっと美味しくいただけるように工夫してみるということか。

パクリはダメだが、不味いものを美味くするのは褒められるし、不味そうなものはそもそも誰も見ようとしないので批判はされにくい。批判はされにくいだけで、絶対批判されないというわけではないから、売れそうなら原形がなくなるくらい煮込みまくる必要はある。それはそれほど辛い作業ではない。

考えてみると、とっかかりみたいなものが存在しないから書き出せないだけである、というのがなんとなくわかってきた。話にしたいことというのがないのだ。日々、もしかしてこうかも、ということを思いつくが、それは単なる話ではなく、ハウツーとか、ティツプスみたいなものなので、お話にならない。しようとも思わない。

物語形式でそのハウツーを皆に伝えたいとかも思わないし、誰それがどうしたということに関して興味がないのが問題だ。

考えてみたらキャラがどうこうというよりはその物語のシステムみたいなものが気になっているだけで、キャラへの感情移入が存在していないのだ。化学反応を楽しむための薬品の組み合わせに似ていて、別に人の感情に感動したりすることがほとんどないというのが問題なのだろう。

小説がそういう人の感情を動かすことに特化した媒体であるという理解はしているが、だからこそキャラの感情に興味がわかないと読む気もしないし、書けないのだ。小説などを書くにしても、自分が何を求めて書いているのかがいつまでもわからなかったら辛いだけになりそうだ。

4/29/2016 09:19:00 AM