物語はこれという書き方は存在しない

しかし、自分にぴったりとくる書き方というのが存在しているとは思う。ブログも昔は全く書けなかったが、魔太郎尊師のブログに救われた。「内容は気がすむまで同じでいいのだ」ということ。

そうなると、尊師のブログのように、ほとんど誰もこないのが常態化するのだが、数で圧倒する作戦のようだ。どこか一つの言葉が検索に引っかかるようになれば、それを日々求めている人々の目に触れるかもしれないし、触れないかもしれない。

しかし、そこに期待すると続けられないので続けることに最善を尽くすというか、やることそれ自体を楽しむということ。大したことない人間が人をあつめるなんて、さすがに炎上以外不可能だ。人に来てもらいたいが誰も来ない、一回もやしとくか……これで誰かにちょっかいかけたり、ムカつかせたりすることで人は集まるが、個人のブランドにはなんの効果もない。有名人になりたいというだけなら別だが、犯罪者一歩手前の心理だと思う。

さて、物語はこうやって書けば良いという本は大量に出回っているが、そのどれを読んでもいまいちピンとこない。多分、面倒くさいからだと思う。楽しんで物語をつむげる人が、何度書いてもどうも面白くならない、というなら役に立ちそうだが、何を書こうか考えている状態では役に立たない。

この状態の打破は、抜け道のようなものが見つかれば可能だと思う。労力が文章を書くのとは別なのだ。文章だけなら腐るほど書けるし、思い通りコントロール可能だが、文章を書くのと物語を書くのはイコールではない。

物語の美味しいところ、そういう部分を見つけないと、いくら労力をかけても無駄だ。

興味、関心が、お話そのものに無いとどうしょうもない気がする。論理や、理屈をこねくり回すのは非常に得意なのだが、それを人が動き回る小説に適用したいと思わない。京極夏彦がそれっぽいことをやっているが、会話文でそれをやるのがまどろっこしいというか、読みたいとも思わない。

隠され、どうなるかわからない謎、みたいなものがでっち上げられるなら興味のようなものが作れる気がするが、それはどうやって作れば良いのだろう。

常識に疑いを持たせるということか。常識となっていることが覆る、そのために工作して裏を作る。幽霊はいないという常識がある世界で、幽霊がいるとしか思えないことが起こる……。「これが常識である」というのからでっち上げられるのが、小説の面白いところなのかも知れない。

思えば、論理だの理論だのをこねくり回しているのも、現実の常識が覆るのが楽しいからだ。その常識自体作って覆らせる快感を得るというのが、話作りの形態として、自分には合ってそうな気がする。

勇者が、支援者が、移動手段が、影の存在が、三幕が……とか、わかるが、そんなものは作るための動機になるものでは無い。もっと個人的な快感を求めないと書くことは難しい。

快楽の小説執筆方法という本を書きたくなってきたが、自分でまずは物語を完成させてから、それに取り組んでみようと思う。何より自分で作れないと説得力無いし。

そうなると、物語の執筆時間をどこかで設けないといけなくなる。

まずは、常識の列挙が必要そうだが、そうじゃ無いかもしれない。自分がそういう選択が好きじゃ無いかもしれないし、自分で作った選択なら平気かも知れない、その辺の具合を見るのが良い。絶対やらないこと、普通はやらないこと、誰でもやること……この辺だけを決めてみよう。

4/21/2016 09:41:00 AM