物語も人を意識して書けるものではない

そう、仮定して考えてみる。物語を書くとかいうと、何だかすぐにシステムとか考えたくなるのだが、それも前に、お話しとは、常識を疑ってみることから始まるのではないか、と考えた時に、では、常識を列挙してみよう、いや、常識ってどういうことだ、感覚が作ることか、いや、煩悩か、何から生まれるのか、その体系化をやってみて、リスト化してみよう……とか始めてしまいそうになって、思いとどまった。

全く物語を書くことと関係がないということがわかったからだ。物語を書くというのは、その作品世界そのものを作り出すことに楽しさを感じなければありえないのではないかと思う。例えばみんなが見たいと思っているお話しの総体をかいつまんで自分なりに書いたからといって何も面白くないし、誰も見たいとは思わないものにしかならない。

やはり物語もブログと一緒で、自分が書いていて心地よいから書くものである。ずっとその世界のことを書いていたいと思えば、書くことそのものが楽しくできるのだ。それを目指さなければ、物語を完成させることなんてできないだろう。

自分が見てみたい世界なんて、どっかにあったかな……と考えてしまうが、よく考えたら、どんなお話しもそんなに楽しくないので、楽しめるとしたら、ものすごい予算をかけているとか、一生懸命作ったんだろうな、とか、没入感とか、それそのものを楽しもうとこっちの心を開いてくれるようなものを、実際に体験していると、馴染んできて楽しくなってくるというくらいで、いきなり楽しくてしょうがないみたいな設定とか興味があるものというのは少ない。ディテールで絆されるというか、快くなって、観てても良いかな読み続けても良いかな、とか思う映画が出てくるだけで、どうしても見てみたい、読んでみたいと思うような映画や、小説の設定は少ない。

しばらくしたら馴染むのだから、自分の書く話もある程度設定と目標を決めたら、そこを目指して一気に終わらせてしまったほうが良い。で、体力があるうちに、間を細かく書いていくというのが良い。ちょっとずつ書いてみよう。どうするかはまだ決めてないがさっさと書き終えて、力をつけていこうと思う。ブログだって最初に比べたら無限に近いくらい文章を書くのが楽になり、速度もキレも良くなったと自分では感じているのだ。誰が楽しむとか、完全に無視してやってるので、それで良い。物語を書くのも。

4/26/2016 12:30:00 AM