人の視覚はシンプルを好む

いくら複雑な形状のものを提示しても、大体でぼんやり捉えて、それを大まかな形状に脳内で変換する能力を人は有している。これを障害のある脳はそのまま捉えて、まるで写真を撮影したかのようにそのまま提示することができるようになってしまうこともあるようだが、それは幾つかの偶然が奇跡的に絡んだからであって、基本は写真以上に細かく視覚センサーによって知覚し、それをボンヤリフィルターで大まかな形状に変換していると考えられる。

そうしないと他のファンクションに問題が起きるからだ。大体で捉えて、それをすぐに利用できるように処理して、別機関に受け渡すためにボンヤリさせるのだ。

この工程が少なくて済むので、人はシンプルな形状のものに惹かれるようになる。例えば、完璧に同じように再現できるならつまり写真並みに一瞬を切り取って再現可能なら、どんなに写実的でも人の顔を「あの人だ」と認識できるが、そうじゃない場合単純化しないと誰だかわからない。人は写実的に人の顔を認識していない。極端に言えば、輪郭の形と点の位置だけでそれが誰なのかを表すことが可能であるということだ。

似顔絵を描く人は極端にデフォルメしても、それが誰だかを他人に認識させることができるが、それは顔のパーツのバランスは踏襲しているからだ。パーツの形状の正しさよりも、配置を単純にしても成立するポジションにするから認識できるのだ。

漢字を何度も書いていると、パーツがバラバラに認識されるようになり、曖昧さがなくなり認識できなくなる、ゲシュタルト崩壊も同じ理由だ。

赤ん坊、乳幼児は曖昧かつ単純な形状を好むが、これは他の認識機関がまだ未発達ではっきりしていないから、食べやすい柔らかさを求めるから、単純な形状を好むということだろう。

味覚も聴覚も視覚も人の認識が幼い(初めて見たものを含めて)基本的に単純なものを求めるのだ。しかし単純なものは飽きてくるから、大人になるということは自分で複雑なことを単純化する能力を高めるということなのだ。

4/12/2016 09:41:00 AM