物語の対立

対立とは意見の違いである。二人の人間がいた時、自分はこう思う、という主張がズレている時に起こる。

どちらが正しいかは、時間経過、場所移動、第三者によって明らかになる。

意見のズレを楽しませる、どちらも正しいという論理を作って、結果どちらがこの場合有効であるか、ということをやるのだ。対立状況を作るだけで人は楽しんで先を追いたがるものである。

評論番組がそうであるように、どちらの正義が勝つかというエンタメであるのだ。

時間経過で審判される場合、対立した両者がその通り行動したことでどうなったかがわかるようになって、結果どちらが正しかったのかという事がわかる。アリとキリギリスがこれ。冬がきてどちらが正しかったかハッキリわかる。

場所移動の場合、海外に連れて行かれるとか、全然違う集団の中に入らなくではいけなくなったりで、それまでの常識が通じなくなる事がある。それで、結局どちらの意見が正しかったのか決着がつく。田舎のネズミと町のネズミがこれ。結末は田舎にネズミが帰り、町のネズミが捕らえられるところまであれば、田舎のネズミの意見が正しかったことになる。いくら見窄らしくても、死ぬよりはマシということ。

第三者の場合、第三者の判断によって正しかったというのがハッキリする。北風と太陽も旅人が服を脱ぐということで、実際の審判は行っていないが、旅人の判断による間接的な審判となっている。

時間経過と場所移動で結果がでる対立は、トレードオフの関係であり、どちらかを取るなら何かを我慢しなければならない、その我慢部分が耐えられるものかどうかということを問うているに過ぎない場合が多い。アリとキリギリスならば、冬に向けての労働に耐えられるかどうかということで、ネズミであれば死と隣り合わせのご馳走に耐えられるかどうかということである。

第三者が結果を出す対立は、第三者の具合をどう判断したかということによる。人は北風で吹き飛ばされるような服の着方をしない。なぜ力比べと言いながら、太陽に圧倒的に有利な勝負に出たか思い出せない。

5/05/2016 09:16:00 AM