執筆には波がある

文書を書いてひたすら適当なことを言っていても、いまいちしっくり来なくなる時がある。それは多分、今は出力に対してモチベーションが無い時期だからかも知れないし、下手に何かを参考にしようとしていたからかも知れない。

適当といえども、何か元があるような文章というのは、それをどうしても意識してしまうものなので、できるだけ観察だけにとどめて、記憶を元に一気に書き出してしまうのが良い。

それか、自分の考えに完全に置き換えてしまうというのでも良い。合っている間違っているということが問題になってしまうと、適当な文章では許されない場合もあるので、ぼかしながら書いたりするしかない。

何かを読んでいて、どうしても何か一言いいたいという感覚になったら、それをブログに書いて発散するというのが良い。特に集中しなくても、書きやすいものを書き出していくというのが重要である。

下手に意気込むと何も書けなくなってしまう。「書くことに何か意味が無いといけない」なんてことは全くなく、自己満足のためであればただ早く文章を記述した、どれだけ入力が早くなった、そういうのだけで十分楽しめる。

何か意味が無いといけないというのは、一体どこのどいつにとっての意味か、それを問われて、読者とかいううすら寒いセリフを吐くアホにはなりたく無い。自分にすら意味がなくて良い。単純にスッキリするとか、なんかやりたいからやる、そのくらいで良いのだ。

じゃ無いと続けることは不可能であろう。

ゲームを何かしら他人が認めてくれるような意味があるからやってるアホはいない……楽しいから、何となくやりたくなるから、とか、理由にもならないが、単純にやってみたいことであるというのが前提だ。意味を求めた時点で続けられないからやめたほうがいい。

そのくらいの無意味さで、しかしなんか変な達成感がある、ということがこの文章書きには重要なのだ。

ネタがない、とかいう声が聞こえてくるが、ネタなんかいらない。自分が前書いたことを記憶だけでそっくり再現してみるということをやっても良いわけだ。ここはチラシの裏。掲示板ですらない。誰もいないに等しい、暗く暖かい空間である。適当なことをやっていても、誰にも咎められない。

もちろん反社会的な行動を自慢げに拡散しようとかいうことはやめたほうが良いが、それはTwitterにお任せしておこう。かまってちゃんは人がいないところには生息できないものだ。

それよりも、ただひたすら書き続けることで、しかも内容の被りなんて気にしない適当さで書きまくるというスタイルに寄って、自分の中に溜まった鬱憤などを吐き出して満足、気を済ませようというのが一番の目的である。

ぼーっとテレビを見たりしてたら終わってしまう時間の数分の一の時間でここまで書くことができるのだ。いま、フリック入力で十五分程度が過ぎたところだが、ずいぶん速くなってきた。これは考えてないから速いだけで、考えていたらかなりの時間が消えていく。考えなくてもかける、指が動けばとにかく文章が出来上がる、そういう状態を作ることができれば、この遊びはかなり心地よくできる。たまに負荷のかかる執筆スタイルを取っても良いだろうが、普段は思いつきながら文章を重ねていくというのが重要だ。

5/12/2016 12:53:00 AM