何も思いつかないことがすでにネタ

何も無いという言葉から始めると思いつきによって、色々なことが書けるようになったりする。

無理に書かなくても良いというのはその通りだが、別に無理をせずに、しかも何も無いのに書き出して本当にうまくいくのかどうかというのを試すのはこういう時しか無いので、そのデータ取りのために書き始めてみるというのもありだと思う。

何もしたいと思わないなら休む、とかやってしまうと、次に動き出すまでに力が必要になってしまうから、なるべくかまどの火は絶やさないようにしたほうが良い。

一度止まってしまうと、せっかく培った力が抜けていってしまうような感覚に陥ることもある。

特に有益な文章じゃなくても、書くだけで十分脳みその運動になる。常に続けるという姿勢を崩さなければ、体は自分を裏切らない。

人に認められる認められないというのはあまりにコントロール不能であるが、自分で何かを作るという瞬間は自分の中にあるものだけが焦点となるので、コントロールも可能だし、達成感もある。運頼みの部分が少ない。自分でちょっとずつ具合を見ながら行動してみるというのは、ペースを作り出す、どういう状態なら耐えられるかというデータ取りに最適である。自分がどこまで耐えられるか、それをぶっつけ本番でやるよりは、急死のリスクが減ると思う。

続けられない人というのは基本的にこの急に躍り出て爆死ということを繰り返しているに過ぎない。だから、自分のコンディションを見計らい、うまい具合にコントロールしたり、避けたりする術を作り出すのだ。

何も書きたいものがなかったとしてもこれだけ書き出すことが可能だが、そもそも何で書きたく無い状態が生まれたのかというと、書くよりも集中しやすい事柄が生まれたからだ。こういうざわつきがあると、書いているどころじゃなくなってしまう。それを無理に書く方に持ち込まず、無理せずにストレス発散のために書き始めるという事をやってみるのが良い。

自分が心奪われている事から目をそらすのではなく、それを考えながらも、不安定になっている状態を認識する、そのこと自体を楽しむつもりで、どういうことだという思考を巡らせる。何度も痛みを味わうことで、その痛みを克服しようとする、それでもダメなら、やり方を変えて、逸らし方を知る。

子供の時だったら逃げ場のなかった心の傷も歳と共に痛みを和らげる方法、というか、傷が目立たなくなってくる。その代わり、回復はしない。圧倒的な量で流すというのが一番だと思う。自分の感覚はどうなろうとも自由に出来る、コントロールを自分のタイミングでできるようになるはずという、実験をやってみるつもりで色々やってみるのが良さそうだ。

5/18/2016 08:00:00 PM