世界の村上春樹が普通の日本人には受けないたった一つの理由

文章がキモい。だから文章のキモさを感じさせない英語になればそれなりになる。つまり、あの無駄に気障ったらしい文章を取り除いてしまえば、それなりの構造の小説になるということである。翻訳のしやすさも多分意識しているから積極的に翻訳書が作られるのだろうし、それは村上春樹本人もわかって書かれているだろう。

確かに、あの文章がなければ多少つまらない内容の小説程度で済むとは思う。それは多分、外人にとっては日本の文化という部分を加味して、不思議な雰囲気がある小説であると、好意的に受け入れられるのだろう。つまり、他にそんなにしっかりと日本の情景を描く作家が英語圏に存在しないから、オリジナリティ(笑)があるとも言われるかもしれない。

個人的には本当に嫌いなので、ギャグ的なものとしてパスタとコーヒーと肉体関係と自慰と青春と、煮え切らない男のフラフラした感情をキモがるために読むもの程度で認識している。

そうは言っても、ハルキストとか出てきてノーベル文学賞が取れるだのなんだの盛り上がっているということは、日本でも受け入れらているのではないかといわれそうだが、表題に書いた「普通の」というところがミソで普通の日本人は多分読みたがらない。もしくは買っても読まずに置いておくというのが普通なのではないかと思う。ちゃんと読んでいる方が不思議だ。全然面白くないし。

多分普段本を読まない人が読んでいないとわからない本だから、ちゃんと読んでいると箔をつけたい時に読んでることにするために読んでいるというややこしいことが起きているのではないだろうか。知らないが。

個人的には最初の数ページで寒気がするのを耐えたら、後はそれほど楽しくない内容と、特に興味もわかない意味不明な内容がダラダラ続くだけなので、二、三作品読んでもうやめた。つまらない小説ほど無駄なものはないだろう。映画以上に。

小説は安くて長時間楽しめるメディアとして最高のものだと思うが、読むコストが高いので、それほど興味のないのにわざわざ読みたいという気にならないのだ。

文章が楽しいもので、読みやすければまあ読んでもいいかなとは思うが、文章がキモいという致命的な問題があるので、さすがに一つも読みたいとは思えないのであった。ビジネス書並みにどうでもいい感じで読めるように工夫してあるならまあ読んでも良いが、わけわからないことが褒め言葉くらいの文章が羅列してあるので、さすがに結構だ。読んでいるというだけで、本を読む人からしたら生暖かい目で見守りたくなるような著書ではないかと思う。本を読まない人が好んで読む印象だ。

しかし、福岡伸一という生物学者が村上春樹を好んで読んでいるということを聞いた。春樹のような文章で書きたいとかいう話だが、いやいや、福岡伸一の方が全然良い文書をすでに書いていると思う。著書で紹介される研究所のある秋のアメリカの描写は凄すぎる。あんな鮮烈なイメージを一度も春樹からは感じたことがない。

ということで、村上春樹を読むくらいなら福岡伸一を読もう。嘘しか書いていないらしいので、どちらもファンタジーとして楽しめるだろう。


生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡 伸一

5/16/2016 08:29:00 PM