過ごしやすい良い季節には入力が向いている

文章を書き出すのが出力であるなら、本を読んだり音楽を聴いたり、映画を見たり、テレビを見たりというのは入力にあたる。

個人的には出力八割、入力二割というのが基本だと思っているのだが、それでもやる気というのが季節によって変わってくるのがわかった。

無理に出力する必要はないが、楽に出力すべきだし、無理に入力を控える必要はないが、無理に入力する必要もない。どうせ何も大したものは残せないのだ。ジョブズでもあるまい。この世にいようがいまいが、関係各位にご迷惑がなるべくかからないよう考えて生きていたらそれだけで良い、何も残らない、そういう人生だ。

出力も自己目的的な感じでやるだけであって、別に何かを完璧にやり遂げようとか、お金を儲けようとか、そういうニュアンスはない。お金は欲しいが、人に認められるようなものが作り出せなければ、最低ラインに立つことすら難しい。だからと言って最低ラインに何とか立ちたいとも思わない。

たまに、物凄い偉業を成し遂げる社長のような人の話を見聞きするが、いや、自分からそういうものを見たいと思っているわけでなく自然とウェブのまとめを読んでると入ってくる情報であるが、同じ一秒間の密度が全く違う気がする。判断、決断、過ごし方、暇のなさ、しかし潤沢な金を動かす濃度の高さ……これらが相まってとんでもない状態を作り出している。ハブ、つまり結節点として機能しているという印象。

その領域は選ばれていくものではない、自分で進んでその場に自分を置こうとする意思が必要なのだ。全くやる気にならないが。

その場にいれば多くの一般では知りえない入力が可能となる。だからその魅力に惹かれた人が多く集い、その中の頂点が結節点として機能し始める。

上質な入力が欲しいならその結節点部分に自分を置く意思が無ければならない。しかし、そこにはゴミも多く流れ着く。ゴミ処理を怠ったり、ゴミを見間違えて宝と思うと即結節点からはじき出されるということでもある。

出力が主であるなら、実はそれほど入力の質というのは問われない、というか、誰にも相手にされることがないので、吐き出しまくっていても、何の効果も無い人間しか出力を主にすることは不可能であるから、いくら適当なことを言っても良い。注目をあえて集めようと働きかけないということが重要だ。

偶然誰かに気にかけられて紹介されるくらいがせいぜいで、それ以上を望むようになると、出力に変な力が加わるようになり、そこから破綻するようになる。

バランスが重要というそれ言っときゃ何とかなる言葉があるが、どういうバランスかというと自分でコントロールできることしかコントロールしないということ。人の考えをコントロールすることは難しいし、そんなものに時間を割くなら、何も考えず出力した方が楽しめる。

人をコントロールするのは百回中一回程度成功すれば良い方で、自分をコントロールする成功率は半々くらいだ。成功しやすい方を変えて、あとは運任せ以外に方法がない。バランスとはその割合のことを言う。

5/12/2016 09:02:00 AM