考えない勉強法

考えるのにはコストが物凄くかかる。脳が何千年もかけてようやく可能にしてきた論理エミュレータを駆動し続けないといけないからだ。本来脳は同時並行で生きていくのに必要な無限に近いことができるようになっている。ご飯を食べながら呼吸をして、視線を周囲におき、飛んできた虫にいち早く反応し、温度、味、匂い、代謝、心臓を動かす、発汗……これらを同時に何の問題も無く情報処理し続けられるようになっている、超高度並列コンピュータみたいなものだ。ところが、意識して考えるということをし始めると、同時並行で処理ができなくなったり、処理が狂ってまともな動きができなくなるくらいの負荷がかかるようになってしまうのだ。考えるというのはそれだけ負荷が高いものなのである。

それを勉強の時にやってしまうとどうなるか、もちろん頭に必要な情報を入れる前に疲弊して、体に変調をきたし、嫌になって続けられ無くなるだろう。ならば嫌にならないようにするには、考えないというのが重要になる。考えずに何をするかというと、丸暗記だ。暗記の仕方も、問題に目を通して、それから答えてみて、間違えたところをもう一度やってみる、なんてことをしてはダメだ。まず答える瞬間に頭を使いすぎてバーストする。

だから、最初に問題の答えを全部覚えるのだ。別に意味なんかわからなくても良い。意味が分かった方が記憶に定着しやすい、とか言われるが、意味がわかるまでが長いので、定着するまで耐えられない。

だから、すぐに答えを覚えて問題を読んで、この問題の時には確かこの答えが当てはまる……という感じで覚え、参考書を読んで、答えが導かれる理由を裏付ける、という流れにした方が良い。

水を高い場所に移動させるのにはコストがかかるが、高い場所から注ぎ込むのは大して難しくない。普通の学習法は、答えという高み、つまり問題は答えから流れ出た水を見てどういう答えが導き出せるかということを問うものだ。だから高い場所にある答えを目指して、自分で考えることでその答えに近づこうとするものである、それは鯉の滝登りと同じような状態を作り出し、必死に流れと逆行していかなければならないし、問題が新たに生まれると都度対応する必要がある。これは生きるのに関係ない、臨場感のない世界の話なので、そこに没入して何とか答えを目指して進もうとするなら、空想を駆動するための新型の頭脳をエミュレートし続ける行為であり、現代生活に適応したマッチョな頭脳の持ち主しかその場所には到達不可能なのだ。

しかし、原始脳でも可能な「記憶」という能力、ファンクションを動かすのはそれほど負荷をかけずに高速な処理が可能になる。動物時代に可能だった獲物を捕るために発達した高度なパターンの認識力も使える。これらの機能は、生きていくのに必要であるから負荷が少なく済むし、流れに逆らわないで済むのだ。答えを記憶し、問題の流れのパターンを認識し、記憶していけば類似の問題の答えにも答えられるようになっていく。それも恐ろしく簡単に。

昔に比べたらマシになってきたと言われるが、いまだに考えることを重んじる風潮がある。しかし考えるのは記憶に左右される。ろくな記憶も無く、思いつきで何とかなるほど現代の問題は単純ではないし、ひたすら考えれば記憶が無くても何とかなるほど簡単な問題も少ない。記憶なき思考は不可能と言っても良いだろう。

だから順番を間違えないことだ。何か問題を解いていきたいという思いがあるならば、まずは思考なんてせずにさっさと過去の問題の答えを覚えまくるということだ。そして、目の前にある新規の問題に対して、個別具体的な対応を記憶から読み出して行う。これだけだ。これでどんな問題でも解けるようになるだろう。

5/09/2016 07:52:00 PM