ブログは知能の増幅装置

頭の中で考えるだけでうまくいくことなんてほとんどなく、基本は運動と同じで、自分でやって、試してみて、それで出てきた結果を元にさらに行動指針を修正していくということで学習というのは成る。

写経というのはやるだけで勝手に脳が考えてくれるのを利用した方法だが、それにしたって、ちゃんと動くというのを体験するからうまくいくのであって、全く動かない古いAPIを読み出すコマンドをいくら写経したってどうにもならない。まずは絶対に動く保証のある状態で写経して、味というか、感覚みたいなものを体で覚えるというのが重要なのだ。

そうやって体で覚えたことは、別のことをやっても応用がきいたりする。

ある種、二桁同士の掛け算をやる場合も同じことが言えるが、書き出さないと自分が今どういう状態なのかがわからない。何にとらわれ、何をやっている、何を求めているか、同時に考えることは不可能だ。顕在意識に乗せた状態で人は同時に物事を認識できるようにはできていない。

顕在意識は人がこの数千年で手に入れた全く新しい装置で、エミュレーターみたいなものだ。原始脳をフルに使ってエミュレーションしている状態で、そのエミュレーター内部でマルチタスクを走らせようとしても処理落ちしてまともに動かない。だから、別のメモリに逃がしてやって、記憶を解放して、一つに行動を絞れるようにしてやらないと、本来のエミュレーター内部で動くソフトのパフォーマンスが出せない、というかまともに動かない。

それを可能にしてくれるのがブログだ。計算そのものはなるほどコンピュータが得意としているが、思考そのものの指針や、ログや、概念の創出に関しては、ブログで執筆することで、おぼろげながら見えてくる。

後で見直して、何かしらの見えなかったつながりが生まれることがあるのだ。その時はそうとは思っていなかったことが、後で見直してみればそのことを別の言い方で言ってただけだった、みたいなことが良くある。

人の考えを本で読んで憂さ晴らししたり、何かわかった気になるのもストレス発散になるのかも知れないが、何もない状態でも、自分の脳が信じられない動きでいろいろなものを作り出すことができる、というのを知っていると面白い。

作るときに人は時間を忘れて楽しめるというが、本当にそうだ。作るとは人を気にせず、自分の感覚を満足させることと見つけたり候。つまり、釈迦の言う縁起であり、禅の魚は江湖に相忘るである。慢心、煩悩のない、解脱の領域にあれば、豊かな忘我の境地に至る。

知能を増幅させるということは、計算速度を上げるだけではない。その思想の軌跡や流れそのものを作り出すものであるべきだ。もちろん紙のノートでもそれが可能であるが、図形関係のフットワークの軽さは素晴らしいので、紙でも良いが、言語を扱う場合の生産性はパソコン、スマホを使うことで、驚異的なレベルにいける。そして、図形化不能な概念的な繋がりに関しては文字じゃないと記述不能だ。

5/06/2016 12:45:00 AM