物が無いだけではミニマリストとは言わない

本当に必要なことだけに集中して、それが完璧になるように取り組む人をミニマリストと呼びたい。何も持たない、全部捨てる、とか安易すぎる。必要な機能を絞り込んでいるべきである。

無ければ良いのであれば牢屋に入るのと一緒だ。刑務所では所有物をゼロに無理やりしてくれる。太った人も痩せられるらしい。食事に関しても完全な管理をやってもらえるので、ダイエットできるそうだ。

それをミニマリストとは言わない。自分で生活できるというのが最低条件だ。ミニマリストになぜなるのかというと、煩わしいやらなくて良いことをやらないといけないと勘違いしていること、それを全て捨て去って、スッキリと豊かな生活をするためだろう。出来合いのものを買ってきたり、外食で済ませて何も持たないで済むとか、本末転倒だ。

文明が無いと成り立たないカラ屋敷の住人は、文明に翻弄されて物を膨大に溜め込むゴミ屋敷の住人と同じである。病気の原因は同じである。過食も拒食も、食事へのこだわりが症状として出た状態なのだ。それと一緒。

ミニマリストは整理整頓をしない。整理整頓する時間が惜しいからだ。整理整頓する必要があるのは、すぐに使わないものがあるということ。いつも使うものだけで構成する、ライフラインだけに絞って、少しでも使わないものは思い切って捨ててしまう。

必要なものに金をかけるのだ。かけられる金額も自分の収入に見合ったもので良い。それが消耗されて無くなった時に気軽に買えるもので無ければ、二度とその状態を再現することができなくなってしまうだろう。再現できないということは、別の手を考える必要が出てくるということ。これもかなり煩わしい。

スタンダードなもので揃えると再現性は高まる。すぐに生産が終わってしまうようなものに依らないということも重要だ。それが無くなると成立しなくなるというのはさすがに別のしっくりくるものを見つける旅に出なくてはならなくなるし、無くなることを恐れて不要な在庫を溜め込まなくてはならなくなる。

だから、消耗品といえど、再現性を重視して、自分の行動範囲内で購入できるものに限るというのが良い。

自分の美学に反する、意味不明なものを持たないということ。それが自分だけならコントロール可能であるが、人との共同生活となると、もう不可能だ。唯一の慰めは、自分が死んだ後にタンスの棚一段分しか荷物がなかった、みたいな認識をしてもらえると良いかなというぐらいだ。後は共同生活者に全てを委ねる。私物は極力使わないモノを削除していく。

もう一度買うとかなると無理なものだけ残して、思い出も全部デジタル化してクラウドに「捨てる」クラウドはゴミを上げる場所だ。一番重要なものだけ手元にあれば良い。

利用するものがすぐに取り出せれば良いだけで、別に全部を持っておく必要は無いのだ。バックアップは使わないものだけを対象にやることで、使うものは常に手に届きやすくしておこう。

常に使うもの、使わないならさっさと片付けるという習慣があれば、面倒で棚から出さなくなったものというのも出てくるはずだ。そういうものから捨てていく。

本も、コレクションしているもの以外はさっさと裁断業社に頼むか、自炊する。本を読む時間が取れないし、その時間があるなら他のことをやるという事なら、自炊して、ながらで閲覧できるようにして、学習すると良い。とにかく必要な情報を頭に叩き込むのだ。そうすれば手ぶらでどこにでも知識を持ち込める。完璧にそれが再現できないのは当然なので、概念的な事だけを覚えるという事でも良い。後はどこにその情報があったかを思い出すだけだ。そして利用する。ノートに書き写すというのも有効である。要点だけを絞れるからだ。

そう、生活でも要点だけを絞って、戦略的に全てをコントロールしていく、それがミニマリストだ。ものを極限まで捨てるというのは単なる思考停止である。

どうして必要最低限に絞り込むのかというと、自分の人生を決めていく感覚になるし、ストレスが減る。人は自分で決められない、動けない、逃げられないということに非常に強いストレスを感じるようにできている。ストレスは行動のための起爆剤である。それを適度に持ちながら、少しずつ良くなっていこう、良い場所に行こうとする、そうやって発展するのだ。

5/24/2016 09:14:00 PM