ホームページは作品作りや発表の場でもある

基本的にログを流さない、停滞、定着させるというのがホームページの使い方であろう。そのため、作品を作ったり発表することに向いている。何度も見直せる、見直しやすい、それ自体が塊として意味を持つ、そういうものだ。だからと言って、高尚なものを作る必要は無い。すでに世界中に思いつく限りの素晴らしいコンテンツが溢れているのに、自分がその頂点に躍り出ようとか考えなくても良い。

それよりも、定着させようとすること、その意思が重要だ。それは自分が意思を持たなければそこに存在しなかったものである。だからこの宇宙に自分の考えを生み出すということ、そしてそれを流すことなく、消えないように定着させようとすること、それが重要なのだ。

確かにブログも文章を書いて、いつでも見直せるものとして定着するものではあるが、しかし、それは意識の流れをなぞった軌跡を表示しているに過ぎない。流れの中での一種を捕まえ、そして変化をためらわないものである。それをコンテンツと言ってしまうのには抵抗がある。変化する、似たようなことでも少し違うだけで意味がある、そういうものであるべきで、そうじゃなければ、ここまで好き勝手に書きまくれない。

固定化する情報というのは、変化をさせるためのものでは無い。それはその時の間違いも奇跡も関係なく、それと確定したものを抽出して定着させるための情報だ。品質の高さも関係無いが、こういう適当な感じで文章を書くものでも無い。よくわからないまま進んで、行き当たりばったりで、考えを固めた、その固めた情報を抽出するものだ。品質なんて気にするだけ無駄、というか害しかないので、続ければいつか上手くなる日もくると楽観的に抽出作業を繰り返すべきだ。

自分の好きなこと、興味のあること、それにまつわる情報なんて、生きている上ではそれほど存在しない。しかし、書き留め何度も見直す価値はある。金持ちになれるなら嬉しいが、それ以上にドーパミンとストレス発散のための作業である。自分の一言が多くを動かせる成功者、一秒の密度が高い、他の人より貴重な存在、そんな人は仕事に生きていれば良いが、敗退者で現実が上手くいかない、アンパン工場のハゲ班長の言うがままにケシの実をアンパンに乗せるだけの毎日を送る人間からしたら、自分の楽しみしか無い。それ以上の生産性はどこにもない。日常がひたすらシベリアの大地のように何も無い、つまらないという人間は、自分で工夫しないとどうにもならないのだ。

そのために、今のベストを尽くして作品を作るというのが良い。ここでひたすら書き出しているのは作品では無い。これは排泄に近い。でもその感覚で何かを作るためのヒントというのが見つかりそうな気もする。書きながら考えて、インスピレーションを呼び覚ますということが重要だ。

偉大な作家は作っていたから偉大な作品が作れたのだ。ゴミでも何でも良いから、とにかく作り続ける必要がある。下手に役に立つとか考えずに、作るということ自体を楽しむために作るというので良いと思う。この際、管理がどうこうも関係無い。そこにコンテンツを載せたいから作るとかで良いと思うのだ。

5/19/2016 08:06:00 PM