ヒステリー、激情、譫妄、病的興奮、逆上、狂気、狂乱

類語を羅列してみたが、この突発的な激情によって人は多くのものを失う。別に生来的な刺激でこれが起こる訳ではなく、自分で精神をプログラムするからこの状態が起きるようになる。

アレルギーとも言われるが、実際のアナフィラキシーショックと違うのは、自分でアレルゲンを持ち込み、それによって自発的に巻き起すところだ。

宗教とか、この状態を人為的に作り出す。排他性や、仮想敵を作るために、生来的な縄張り本能を利用する。

国の政策として縄張りを「あいつら」が冒してくるという情報を植え付ける。すると簡単に人殺し出来るくらいの情動が発動するようにできている。そこで起こるのが戦争だ。

戦争は太平洋戦争をベースに考えると嫌々連れて行かれる赤紙式の最悪の状態しか思い浮かばないが、本来は高揚と集団ヒステリーみたいな状態で突っ走るものだ。中の人々は苦悩というより、喜びに近い。「あいつらから守る」

その状態が作れると軍需産業というとてつもない富をもたらす産業が活性化するので、なんとかしてそういう状態を作り出したいのだ。その土壌が少しずつ育まれている。ターゲットは恵まれず、ものを考えない若者だ。あいつらと俺らという線引きをしたがり、それを本心でそう思い込む層。ちょっとでもきっかけがあれば、ヒステリー、激情、譫妄、病的興奮、逆上、狂気、狂乱という状態になりたくてしょうがない精神を持て余している。

あとは、それを許してくれる場所があれば良いだけだ。サッカーとか、野球とか、そういうので紛らわせているが、いつでも臨戦態勢になれる。

宗教があれば導きは簡単だ。宗教はそのために利用できる。一番手軽な方法なのだ。罪悪感を消し、敵に向かうだけで頭の悪さすら肯定してくれる。敵に向いている頭の良い人と「俺ら」という連体感をもたせてくれるのだ。つまり宗教はヒステリー、激情、譫妄、病的興奮、逆上、狂気、狂乱の肯定装置であり、それに従う集団を作るのが目的のものなのだ。その目的から外れるならば宗教とは言えない。科学もヒステリーを起こす輩は宗教と同じだ。定義から外れるかどうかしか無い。つまり、視点移動や、冷静さの自由を無くせば宗教になるとも言える。宗教の気持ち悪さはこの人工的な視点(概念)の強制であるのかもしれない。

5/26/2016 09:36:00 AM