何を書こうか考えているときの高揚感を味わうのが醍醐味

ブログを書く時は、何か目的があるとか無いとか、そういうのは関係無く、とにかく書くことが面白いから書く、というのと、もう一つ、書く前に何か面白いことを思いつきそうだ、という高揚感みたいなものが味わいたいという感じだ。

子供のときの遠足前の薄い感覚に近い。多分、強制されていないし、プレッシャーもないし、誰かを意識することも無いので適当にできるのが良いのだろうと思う。

しかも、自由自在だ。自分がすぐにハンドルを切って、あらぬ方向に行っても良いし、ちゃんと想定した山頂を目指しても良いし、森のせせらぎに立ち止まって、そこで目を閉じることで終了しても良い。もちろん道に迷うことも多いが、何の危険性も無いから、一度没入から解き放たれれば、すぐに現実に帰れる。

何かが生み出されそう、という高揚感、これは多分ドーパミンの仕業だろう。ドラッグにはまる奴もこれと似た感覚に陥っているのでは無いかと予測できる。まあ、人聞き悪いので、瞑想とか、禅とか、悟りとか、そういうのに置き換えたほうが良いとは思うが。

この没入をいくら繰り返しても何も生まれない。自分のバイオリズムみたいなものが影響していることも多い。少し見聞きしたことをネタに脇道に逸れて、すぐに道がどん詰まり、その場でやめにする、そういうのも自由だ。しかし、次に書き始める時に、それを引きずって書き始めようなんて思わない。とにかく書き出す、それだけしか書く理由が無いのだから、うまく書けようが書けまいが関係無い。自分の好きな方に適当に動くのが一番だ。

ストレス発散以上に何物でもでも無い。適当で良いし、全てをぶつけようとか、後で役に立てようとか、同じことを書かないでおこうとか、そういうのからも解放された自由な場所。そこで適当に体を動かしていると、たまにとんでもない考えが浮かんだり、見たことも無い道が見えたり、それを取ろうとするとすぐに手からすり抜けたり、見ないようにしたり、誰かに説明しようとすると、何を見ていたのかすら忘れてしまうこともしょっちゅうだ。誤字脱字に気づいて論点を見失うこともあるし、さっき思い至ったこともすでに忘れている。きらめくひらめきみたいなものが一瞬見えるのだが、それが本当に形を持つ、確かな文章になり得るかどうかも書き始めないとわからない。

それでも何でも良いから書くのが重要だ。自分が唯一自由に動ける場所。他の場所は躓き、間違え、たどたどしく、ポンコツみたいな評価しかもらえない。ここだけは自分の感覚を素直に晒せるというところだ。浄化以上の何物でも無い。もちろん、タイトルにこだわって扇情的なタイトルにして人を呼ぶこともできるだろう。昔は常連的にヒットが出せていた。しかし、そんなことをしても続けられない。どんなにつまらない内容でも良いからとにかく書く、書き出す、というのは心を浄化するためだけの排泄行為だ。

5/23/2016 08:16:00 PM