ホームページは作品集を作るためのもの

ブログは適当に書き散らすためにあるし、そのために使っている。ツイッターは見知らぬ相手とのコミュニケーションを捗らせるもので、フェイスブックは知り合いとのコミュニケーションを捗らせるものだ。コミュニケーション系のツールはまあ滅多に使わないし、使う必要も無い。

それぞれ使い方というのがあるが、ホームページは、その中でもかなり固定的、一度アップしたら変更が難しいというか、面倒なものをアップするものだ。そのため、ブログよりも固い目的のために使うのが常だ。

だから一番は作品集が良い。しかし、作品なんてそれほど作れるものでは無い。ではどうするか、適当に作って、ゴミみたいなものでもアップしていくということが良い。

どこまでバレないで既存の作品をパクれるか、というのでも良い。インスパイアを自分だけがされたようなものを作る実験だ。

これはなかなか楽しそうだ。自分の力にもなりそうだし。トレーニングだ。筋力とかと同じ。実際作らなければ、作れるようにはならない。作れれば良いなでは一生作れるようにはならない。ゴミでも良いから続けて作るのだ。

それを流れるログにぶち込むのでは無く、固定した世界に止めるというのが良い。ギャラリーに置くのだ。ホームページはそのためにある。

インスパイアだけでもどうやればできるか、それを考える。つまり、その作品をコピーでは無く、レイアウトを自分の中に取り込み、それを置き換えて、形にしていく。人類が作り出してきた英知や感覚や知識を取り込んで、センスを磨き、パターンが読めるようになっていくのが目的だ。

まずはミニマルな状態のもので、考えずに抽出して、それに自分なりの味を足していく感覚。そういう状態の中から、芯を掴むのだ。健康に気を使い、何か生み出す発射台を作り出して、世に放つ。それをホームページに載せる。

もちろん最初からものすごいものを作ろうとしても無理だろう。皆大量のゴミを長時間かけて良い感じのものに磨き上げていくことで作品を作っている。

設定を作るのだ。コピー、コピー、コピー。とにかく自分で考えない方法でどこまで無意識を鍛えることができるかという実験でもある。ホームページにアップしないならそれはそれで良いかもしれないが、そんなことをしていたらいつまでたってもアップ何て不可能だろう。

自分が簡単に出来ることを、適当にやってみるという、このブログと同じようなスタンスで作品を作っていく以外に道はない。すぐにやめてしまうだろう。ジョン前田ではないのだ。あんなに頭の良い、数学的才能をアートに向けて、コンピュータとテクノロジーとアートを融合なんてことは不可能だ。

しかし、雰囲気だけなら何とか作り出すことが可能かも知れない。色々考えても嫌になるので、とにかく適当にやれるならやって憂さ晴らし程度の考え方でやってしまえば良いのではないかと思っている。しかも、自分で考えないと決めてしまえば、そんなに辛く無い。

考えるから辛くなるのだ。考えられるようになるのは考えなくても良いだけの材料が自分の中にできた時からで良い。

材料を何も考えずに貯め続ける、それだけの動機があるなら絶対にそれはやったほうが良い。しかし、勉強という自分を強制的にそっちに向けないとできないようなことには力を入れ無いようにする。どうせ、初めは何も無いのだ。

実験的にどうなるかやってみるというのが良い。パクれるパターンを多く見つける、何も考えずに、自分の中にそれを通していく、そういう感覚でドンドン何かゴミのような作品を作り出していくのだ。

ゴミを作るつもりでも、無意識下で色々考えてしまうようだ。人間というのは。だから、自分の考えとか捨てて、無意識でそれができるようになれるまで自分に模倣の力をつけさせる。抽象化を自然とやっていくのだ。そのまま不可能なことというのが絶対あるので、それを少しずつ増やしていく。

これができなければ生きていけない、わけでは決して無い。だから、遊びのつもりで、ギターリフをコピーしまくったらいつの間にか展開が読めるようになる、そういう感覚でデザインでも、絵でも、作品をパクリまくるということをやってみる、そういう実験だ。パクリでパターンを作る、そういう感覚。どうせ誰も気にしない

5/27/2016 08:04:00 PM