考えが同じでも書き出す

常に新しいことを書かなくてはいけない人というのは少ない。友人からせっつかられたり、煽られたりするなら別だが、趣味で誰にも公表せずに書き出すことを続けている以上、それほど違いなどは気にせず書けば良いと思う。書くことそのものが目的となれば、何ものにもならないが、楽しみとしては十分楽しめる。

実際、すでに何も書くことは無くなっている。しかし、書くことをやめればいつでも止められる状態から盛り返すということはこれまでやったことが無いので、その調査という名目でひたすら書き続けているような感じである。特に何かを目指しているわけでも無い。自分がこの感情になった時、どうやったら盛り返せるのか、それとも全く盛り返せないのか、そういうシミュレーションをやって楽しむのだ。

どこに自分のやる気のスイッチがあるか、また何か想起するものがこの一見無意味な行為において生み出されるのか。そういう時はインプットに回せば良いという意見も見たことがあるが、情報は楽しめないものは特に興味ない。それは情報は選択のためのツールでしかなく、それでは何も生み出せないから、楽しむことすら出来ない情報はクズと変わらないと思っているからだ。ここはまあ頑なにそうであるというよりは、自分の感覚によって変わる、クズ情報を眺めて楽しむという嗜好性ももしかしたら生まれるかもしれない。しかし、情報はあくまでも情報であって、何ものにもならないし、生み出せないので、自分の思いもしなかった考えを知る以外にあえて積極的にRSSなどを取得したいとは思わない。

ニュース、思想、面白い意見、そういうものを愉しむために取得するに過ぎない。

自分の書き出しはひたすら深化する思考の井戸に潜ろうとするだけである。深く潜っていると、そのうち見たこともない光る虫のようなものが生まれて、それを取ろうとして手からすり抜ける。たから記憶にとどめようとするが、それも結局覚えていられない。関連性がないから意外なのだ。意外な面白さを持つものはすぐに忘れてしまう。考えもしなかったことだからだ。強烈なものならば頭に残るが、淡いものは全く記憶に残せない。

その井戸の深さが変わらない、または枝葉、支流に移動出来ない場合、変わらない言説を唱え続けることになる。

自分の書いたことをそのままの感覚で書き出すのではなく、尊師が言っていたように少し変化させる、新しい工夫を入れるとその場合は良いのかも知れない。そうじゃないと同じ動きで脳が固定されて、習慣化して、知能が衰える。毎回反復すればその事に関しては特殊になれるかも知れないが、全方向型のどこからでも攻撃が自由自在なタコのような感覚を手に入れるならシオマネキスタイルでは不都合が多い。ウェブは特にスペシャリストよりも万能型に向いている。膨大な情報をうまく処理する能力が必要である。取捨選択も感覚を変えていかなければ精度が落ちる。

7/25/2016 12:27:00 PM