更新の内容よりも頻度

惰性でも何でも良いからとにかく更新してみる。すると感覚の隙間に思考の癖みたいな物が出来てくるのがわかる。その癖をしばらく冷静に分析したり、書き出したり、利用したりする事でブログを更新していく。やがて飽きてくる。その飽きるまでの時間も余す事なく記録する。

一時期ライフログというのが流行っていて、大嫌いだったが、こういう思考のフローを記録するのは楽しい。自分をコントロールする術を手に入れるのだ。

コントロール可能な部分とそうじゃない部分とを明確にしておく。コントロール不能な部分は一体何かというデータも重要だ。

人前で話すのが多数になると苦手だ。必要以上に緊張する。多分声を大きく出さなければいけないという強迫観念に原因がありそうだ。この強迫観念は自分ではなく、アンパン工場のケシの実を乗せる部署の班長に仕込まれたもので、ドヤしつけられた事に影響している。自分ではコントロール不能である。生体反応に近い形で影響下に置かれている。

これを何とか払拭したいが、どうしょうもなくコントロールできない。脱力、力み、どちらにしても内臓の中から嫌な感覚が湧き出してうまくできない。かなりのコミュ障というのも関係があると思うが、これは洗脳とかと同じ状態なのだろう。攻撃性質をもった精神にして誤魔化すことも試してみたが、やはり無駄。感覚としては恐怖による緊張のforループがメモリを焼き尽くすまで一瞬で回るような感覚。

まあ、そういう感じでとてもコントロール不可能な部分というものは存在しているが、コントロール可能ならば、コントロールしておきたいので、そのためのデータ取りを余念なくやっていきたい。限られた時間でうまくそのデータを取得するには、パン工場に向かう電車内でひたすらこうして、駄文でまとまりのない文章で良いので書き出しまくるというのが重要である。

後で見直す可能性が高い場所に書き出しておくというのは重要だ。日記にするというのもあるが、そんな見つかったらやばいものは書き出さない。そういうヤバイ内容を書く事でストレス発散というのもあるかも知れないが、言い方を変えて、個人名を出さずに書く事に意味があるとは思っている。

7/28/2016 09:32:00 AM