速読が無意味な理由

それほど強く無意味とは思ってなくて、基本できるならやれば良いと思うが、ど嘘でもやっても自分には向いてなさそうだし、英語以上に必要性がないので、適当に書いておこう。

まず、思考しながら、イメージしながら読まないから。単に後から思い出せる感覚的な印象が脳内には入ってくるのだろうが、正確に心を揺さぶる感覚は手に入らない。

思考やイメージを想起するような力というのは、多くの物を見て、それが文字になった時どういう表現で描かれているか、そのパターンを多く手に入れる事で可能になるが、ただ見ていれば良いというわけではない。そこに少しの間自分で考える時間が必要なのだ。その考えが思考の筋肉を鍛え、さらに加速を高めていく。早く読めたから良いというわけではなく、同じ時間で、多く受け取れたら良いのだ。そもそも読むとは受け取るための行為であろう。

ただ受け取るという記憶マシンではないので、その受け取りは自身の解釈が必要になる。解釈を交えて、自分が考えることをバージョンアップするのが目的だ。読解力というのは人によって違いがあるので、それほどいきなり最高を目指すべきではない。自分のベストを更新するつもりでやらないといけない。

速く読むとは必ず読み飛ばしがどこかで発生する。一歩ずつ歩いて、都度思考を広げていくような読み方ではなく、要点を見抜いて、著者の言うことを脳にインプットするだけの行為である。単にインプットしたいと思うような読み方は海外の授業、それも英語の教科書を勉強したという人の話でよく見かけるが、あれは必要があってやっているという事だ。楽しみのための読書は速く読んではいけない。

ただの技術として、速く読んでその場しのぎができるようになっていた方が得であるということである。楽しむためのものではない。

つまり速読に意味がないのは、楽しむための意味が存在しないというだけで、とりあえずの対処には有意義であるし、やれないとダメなので、手段として速読の訓練はしておくべきだ。無理矢理読まされる本、細かい描写ではなく実践的、技術的な考え方、それらは大量にインプットしておいて、自分に適したやり方や、必要に応じて使うという事が出来て損はないだろう。

全く速読に意味がないわけではないが、読書で楽しむためには全く意味がないので、点滴とグルメ旅行くらいの違いと考えよう。料理を楽しむために点滴を打つわけはないし、胃腸炎でグルメ旅行もない。適材適所だ。

8/05/2016 09:18:00 AM