ライフログとか言う前に入力欄のデータはあるのか

ライフログと呼ばれるインテルの社長が提唱して話題になった、意識の高いおっさんの日記のようなものがあるが、これはツイッターやフェイスブックで自分の行動を基本的には全て記録しておこうというもの。

これまでも日記という形でそれができていたが、テクノロジーが進歩して、記録のためのコストが爆下がりしている昨今、画像、映像、音声、脈拍、三次元波形、なんでも残せるんじゃないかということで、記録をとりまくっているというもの。死亡までの兵隊の実験データのようで中々不穏な感じがするが、とにかくそういう残したい欲求があるなら残せば良いじゃない、みたいな感じの動きのことである。

まあ続けられるとは思えないが、やる気があるなら勝手にすればいいとは思う。ドライブレコーダーでもあるまいし、そんななんの役にも立たないものを溜め込んで後で役に立てようとしても難しいんじゃないかなと。

個人的には何のためにやってるのかよくわからない。とはいえこうして文章を書きまくってるのはなぜかというと、自分でゆるく考えたことをちゃんと再現性のある形で残せるからだ。単にノイズを垂れ流しているわけではなく、何となくでも自分の感覚的なつながりをここに書き残すことでストレス発散するという感覚か。これが自動的にログとして残るとか言われても嬉しくない。自分で書き出したというのが良いのだ。まあいい。

そういうライフログはまあ趣味として何も考えずヤツればいいと思うが、よくネットでの通販の時に住所や氏名、年齢などを聞かれるが、その時の内容をどこかにメモしているのだろうか、そして思い立ったらすぐにそれを引っ張りだして使えるようにしてあるのだろうか。これをやらないならライフログに笑マークがつくだろう。重要なことをなぜすぐ出せないのかと。

そんなライフログならやめてしまえばいい。はっきり言って使えるものがすぐ出てこない状態でひたすら使うかもしれない情報を溜め込むのはゴミ屋敷と発想が同じだ。

そういう重要な、すぐ使う情報がオンライン、オフライン関係なく取り出せてその余剰としてライフログを楽しむべきだ。そうじゃないとゴミに埋もれる感覚、捨てられない病、本末顛倒という以外何者でもない。すぐに必要な内容は切り貼りしておけるようにすること。それだけだ。

8/29/2016 07:42:00 PM