自分の好きなことをしていると普通死ぬほど辛いことであっても耐えられる

スタジオジブリを思い出そう。先日の特集を見たが宮崎駿の漲った感じと、周りの疲れた空気。あれだけ老人になってもやる気に満ち溢れているし、とんでもなく大量のキャラクターが出てくるモブシーンを無言で何日も書き続けたり、体の不調を大して気にすることもなくやり続けている所をみると、やはりこの言葉が思い出す。「自分のやりたいことはどんなに忙しくても最後までやり抜ける」

この言葉をどこで見たかはうろ覚えでよく思い出せない。匿名の日記だったか、有名なはてなブロガーだったか、とにかく脱サラから起業した人の言葉であることは確かだ。サラリーマンの時にひたすら作業的に仕事をやらされていたときは最悪にストレスが溜まり、体調を崩し、どうしょうも無くなっていたが、自分から仕事を取りに行くようになり、能動的に配分や目指す場所を決められる立場になると、昔では考えられないくらいのハードワークであっても何も辛くなく何でもやれるようになったということ。それは好きとか嫌いとかを超えて、自由であるということが一番大きいのだと思う。サラリーマン社長などは色々なしがらみでがんじがらめになるが、やる気を出せばいくらでもそれを求めてくれる人が取引先でも何でもいるという状況であれば、人はかなりのハードワークでも過労死することなく、病気にならずやり抜けるのではないかと思う。

スタジオジブリのアニメーターは仕事を任されるほどの天才的な人は才能を食いつぶされるか、体を壊すか、他に逃げることでいなくなっていった。これは結局宮崎駿の正論パラダイスに巻き込まれ、そこで従う事、知らず知らず自由を奪われた状態で無限にやらなくてはならなかったからだ。ある時その事に気づいたら逃げるという選択肢が残っている。

確かに宮崎駿以上に稼げる映画監督は日本にはいないから、それ以上の場所となると日本はおろか世界にも存在していない。だからとにかく逃げると言ってもその先の受け入れ先が見つからないのだ。ジブリの働き方や考え方などを見ていると人によっては天国、人によっては地獄だろう。

ドワンゴの川上と清水の人工知能プレゼンのくだりが酷かった。一見なんで宮崎駿が人工知能と身体障害者を結びつけてるのかわかりにくいが、文脈を理解する知能があるならすぐにわかる。あれは人工的に作ったものであれ、知能が何とか自分の持っている動くための方法を工夫して動けるようになったものだ。それを気持ち悪いからゾンビとして適役にしてゲーム、つまり撃ち殺して遊ぶための物と紹介されれば、友人の身体障害者が何とか自分が動かせる部分を工夫して動けるように頑張ってハイタッチしてくれている姿とリンクする、というのもわかる。これは感受性の問題で、ここまで言って理解も共感もできないなら、本当に生命を冒涜する心ない人間であるだけだ。論理的(笑)か感情的かは知らないが、老害と言って安心するのは無能過ぎる。

例えばあれがもっと虫などが大量に地形に合わせて独自の考えで動き回るような人工知能であればまだ良かったのだろうが、ステレオタイプの深層学習、ディープラーニングを人体でやらかしていたから、技術の提案プレゼンとしても陳腐過ぎるし、まずジブリの方向性に全く合わない。何を考えて持っていったのかと。

まあ、そんな陳腐で不愉快な事をわざわざやってもらわなくてもジブリが思い立てば、ピクサーが技術的な協力はくれるだろう。世界最高のアニメーターはジブリにいるが、ピクサーは技術として世界最高だ。人の気持ちのわからない川上君や清水君にわざわざドヤられても困るだろう。

今回コンピュータグラフィックスによってジブリのアニメを作ろうとする無茶をやり始めたが、多分ピクサーでも無理だと思う。コンピュータグラフィックスはざっくりと大きなものを作ったり、自動化に向いているが、数ミリの微妙な変化のニュアンスには全く向いていない。むしろ微妙な変化をつけたいなら手描き以上に時間がかかる。そしてジブリはその微妙な変化で人を魅了する映像を作る場所だ。大量の手描きによる群衆アニメでコンピュータグラフィックスの無機質な雰囲気をごまかしたから何とかなったが、そうじゃないとゴミになって終わりだ。コンピュータグラフィックスでやっていい事と悪い事がある。

11/14/2016 08:28:00 PM